「思いさえあれば手段は問わない」という思い込み~為末大学の記事を読んで(6)~

為末さんの記事を読んで思ったこと(6)

日本社会=体育会体質/爲末大学

※見出しはスポーツ界に潜む「思い込み」です。つまり、為末さんはそれらを逆であると指摘されています。
※見出し直下の文章は要約です。

<6>思いさえあれば手段は問わない
「体罰の背景に愛情があれば許されるという考えは多い。しかし、それは一方的かもしれないし、行為で線引きすべきだ」

これは、行為で線引きすべきだというよりは、やっぱり、相手を人間と思っているかどうかに尽きるのではないかと思います。私は(3)で主張しましたが、あくまで相手を人間だと思っていれば、体罰という行為に行きつかないと考えています。
同じ例になりますが、狩猟に出かける時に犬を連れて行くとします。その犬の訓練は、体罰や懲罰などに依ります。でも、主人は犬に対して愛情がないかと言えば、それはきっとあります。つまり、体罰は愛情があるからしても良いというレベルの話ではなくて、相手をどう認識しているかという話なのです。
この二つはそもそも次元が違います。なので、本当に愛情があればそういう行為にはならない、というのも間違った議論だと私は思っています。

愛情があれば体罰もOKというのは、やはり都合の良い楽な方向に逃げているとしか思えません。そりゃ、相手が人間であるよりも動物であると思った方が楽ですから。対等に扱おうとすることがどれだけ大変かは、学校にしろ会社にしろ教育をされてきた方が、きっと身に染みて分かっていると思います。でも、やっぱり対等に扱うべきだと私は思います。

(7)に続きます。(次が最後です)