「人には上下があり逆らってはならない」という思い込み~為末大学の記事を読んで(5)~

為末さんの記事を読んで思ったこと(5)

日本社会=体育会体質/爲末大学

※見出しはスポーツ界に潜む「思い込み」です。つまり、為末さんはそれらを逆であると指摘されています。
※見出し直下の文章は要約です。

<5>人には上下があり逆らってはならない
「スポーツ界には年齢や地位が上の者が絶対だという因習がある。まずは、選手の思いを訴える行為と場所を認めるべき。」

これは、私は日本の悪いところだと思っていますが、年配を敬う尊敬の文化と上に服従する封建の文化の違いが分からず、両者がごちゃごちゃになっている人が多いからこうなるんだと思います。
年上の方や先輩に敬意を払うことは、とても大切なことだと個人的には思うし、これは日本の文化として守っていくべきものだと思っています。一方で、形は同じでも主従関係を強調するために行われたのが、戦国時代などで見られた封建制です。これは、あくまで武力や権力を使って上下関係を明確にして服従させることを目的としています。もちろん、部下には敬意の念もあったのでしょうが、それはあくまで同時に尊敬の文化があるからで、封建的な体制から尊敬が生まれるわけではありません。

これは、(3)でも触れたことですが、明確な力関係で服従させるのは戦争の産物です。戦争では、人間である兵士を駒として扱うわけですから、人間を動物扱いしていることと同義です。ちょうど、狩猟に出かけるときに犬を使うのと同じです。つまり、それが封建の文化なのです。
逆に尊敬の文化は、年上の人を人生の先輩として敬います。つまり、人として自分より前を歩んできた先達に敬意を表するということです。ここに、封建と尊敬の文化の違いがあります。

封建ではなく、尊敬の文化としての年齢や地位の上下意識ということであれば、体罰なんて起こらないし、上が少々間違ったことを言っていても、下は目をつぶることもするわけです。逆に、下の意見を上は汲んでくれたりもします。こうした文化は、日本の良い所だし、美徳だなぁと思います。
けど、それが崩れるのは、やはり上が力をかざしたときになるわけです。そうして下が付いてくることを見て、しばしば、「日本の文化」(=尊敬の文化)として美化して誤魔化されてしまう。これが、現状だと思います。

ただ、これを正すのは難しいです。だって、上になった人はその地位や権力を脅かされたくないでしょう。自分より、実力を付けた教え子や部下たちを目の当たりにして、自分の地位が奪われるのは目に見えているわけですから、唯一の対抗手段として力を振ってしまうのは人間の性です。そして、尊敬の文化を隠れ蓑に使う。
でも、本当は「唯一の対抗手段」でもなんでもないんですけどね。尊敬される人はいつまでも尊敬されていますし。

ちなみに、封建の文化を美徳としての尊敬の文化と勘違いしているせいで、その封建の文化が根強く残っているため、出る杭を打つという文化も相変わらずはびこっているのだということも蛇足ながら付け加えておきます。

(6)に続きます。