「苦しくなければ成長はない」という思い込み~為末大学の記事を読んで(2)~

為末さんの記事を読んで思ったこと(2)

日本社会=体育会体質/爲末大学

※見出しはスポーツ界に潜む「思い込み」です。つまり、為末さんはそれらを逆であると指摘されています。
※見出し直下の文章は要約です

<2>苦しくなければ成長はない
「成長に苦しみが伴うことが多いだけで、苦しみが成長を生むわけではない」

私も、薄々そうなんじゃないかな~でもそれって甘えているだけなのかな~と思っていましたが、実際の陸上の練習(体感的苦痛は低いが筋的負荷は高い)を例に挙げているので結構腑に落ちました。苦しめば良いっていうものでもないんですね。また、楽しんでやる方が練習効果も高いとのことです。

後者の楽しんでやる方が良いというのは直感的に分かる人も多いと思いますが、前者の苦しまずに成長するというのは、疑問を持つ人も多いのではないでしょうか。それほどまでに、この理屈は浸透していて、苦しむことが成長につながると因果関係を逆転させて捉えてしまっている人が多いのではないかと思います。

私たち人間としての一般的な意味での成長を考えた時に、特別な場合を除いて苦痛を伴うことなく、身長も伸び、言葉を覚え、思考能力も高まっていきます。子どもの頃は、成長している実感を持っているものですが、大人になってしまうと、自分は成長してきたのだという事実をあまり意識しないものだと思います。当たり前すぎて印象に残らないんですね。
でも、苦しみを伴って成長を実感した時は達成感も味わえるので、印象に残る。すると、「成長していた時には苦しみがあった」という記憶だけが残ってしまう。その内、苦しむことが目的化して、振り返ると「こんなに苦しんだのに成長が感じられない」となることも案外多いのです。それで、エスカレートすると、「成長できていないのは苦しみ方が足りないからだ」となったりするのです。

私たちは、結構、日常生活から多くのことを学んでいるはずで、例えば何気ない先輩との会話から「この人の喋り方は人に不快感を与えるな。自分はそう喋らないようにしよう」みたいに気づいて成長していることもあるわけです。私は、結構、こういうことの方が重要だと思っていて、普段の些細なことでフッと直感的に感じたことや失敗でも小さな失敗の時に反省したことを意識的にくみ取っていけば、案外、大きな失敗とか苦痛とかは感じずに成長出来るんじゃないかと思っています。
小さな失敗で言えば、この前も映像編集のmagic bullet denoiser iiというノイズ補正のプラグインを1万円ほどで購入したのですが、購入した後にエフェクトの適正なパラメータを調べようと思って検索していたら、Neat Videoというのを見つけて、明らかにこちらのほうが精度が高いことを知ったのです。この時はどうしても綺麗にノイズリダクションをしたかったので、追加で購入しました。これは、わずか2時間の間で起きたことで、その間で1万円を無駄にしてしまったのです。
この時、そういえばこの前同じ間違いしたことあるなぁと思って、思い返してみると三脚の時に全く同じ失敗をしていました。(ネットでスリックダイワビデオ三脚 DST-73を買ったのですが、実際はDST-43の方が良かった、、)これらは今は小さいミスで済んでいますが、小さい段階でつぶしておかないと、私が法人を作った後、大きな決済とかできっと大きな間違いを犯します。もしそうなれば、その後はやはり苦しい思いをするし、それを乗り越えた時には成長も実感するでしょう。
でも、これは本当に必要な苦労なのでしょうか?

それと同じで、「苦労=成長」の意識のせいで、不要な苦労が巷には溢れているんじゃないかと思っています。

(3)に続きます。